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夕方ごろ、大学構内を歩いていると木漏れ日がとても穏やかで情緒的でした。照らされると体の底から自然に対する感謝の念が湧き上がって、思わず踊ろうかとも思いました。この感覚に人は歴史の中で言葉によって輪郭を作り出し、一般的なものにしたのでしょう。踊って自己表現することも、言葉によって自己表現することもどちらも良いのです。

踊りはオリジナリティに溢れていますが、言葉はどうしても独創性に欠けます。言語警察は造語に対して激しい反応を見せますから、それを恐れてオリジナルの言葉がなかなか生まれないのでしょう。ですがそれで良いのですか?自分の作った言葉で世界を彩りたくないですか?感覚器官から入力されたものをジブンナイズして出力することも大切です。

その前段階として自分の思考を自分で表現しましょう。他人が自分の考えを言語化した時、スッキリしたと思うのではなく悔しがってください。あなたの言葉は、あなたしか表現できません。他人の言葉では、齟齬がありますし納得していると勘違いしているだけです。

ともかく自分の世界で見えたことを、自分の言葉で発表する。最終的には造語を浸透させる。そうすれば、思考のために使う言葉をジャックすることができれば、ある面で世界征服ができたと言って良いでしょう。というか、我々の世界は夏目漱石や、森鴎外杉田玄白に操られているかもしれないのです。支配からの脱却です。